連合愛媛では6月20日から22日までの3日間にわたって開催された連合「2003平和行動in沖縄」に5名(青年委員会2名、女性委員会2名、事務局)で参加した。今回の平和行動には全国の構成組織、地方連合会から延べ3000人がセミナー、フィールドワーク、集会などに参加し、今も残る沖縄戦の深い傷跡について学ぶと同時に、日米地位協定、米軍基地の現状と問題点などを考えた。なお、今回初めて連合の平和行動に、全47地方連合会が参加した。
初日(6月20日)


これが有名なミミガー(豚の耳)料理


軍事アナリスト小川和久さん


ひめゆり同窓会の宮城喜久子さん
 平和行動初日の20日は、約800人が参加し「ぴーす・セミナー」が行われた。軍事アナリストの小川和久さんは「イラク戦争に見た米国の世界戦略と沖縄」と題した記念講演をテレビでの押し殺した渋さとは打って変わって熱く語ってくれた。一方、一高女ひめゆり同窓会の宮城喜久子さんは、沖縄戦の体験から戦争の凄惨さを訴える「平和への証言」を情感を切々と訴えてくれた。なお、同セミナーには翁長那覇市長が来賓として出席。「日米地位協定の改善に向けた機運が高まりつつある。連合ともスクラムを組んで行動したい」とあいさつした。
二日目(6月21日)

糸数壕の前で

ひめゆりの塔

平和の礎
 2日目・21日には、「ぴーす・フィールドワーク」に参加した。全員で400人の参加者がバス10台・2コース(南部戦跡・基地視察)に分かれ、1日かけて沖縄の過去と現在を学んだ。われわれ連合愛媛5名は南部戦跡コース(糸数壕→ひめゆりの塔→平和祈念公園→首里城)に参加した。各バスには、それぞれ案内役としてピースガイドが3人ずつ添乗し、われわれ参加者の学習の手助けをしてくれた。昨年までは歴史を熟知している元教師などがガイド役をしてくれていたが、今回は連合沖縄の青年委員を中心とした若い世代が初めて担当してくれた。最初は多少緊張しておられたようだが、その熱心さと思いが充分に伝わり参加者の中には感動のあまり涙するものもいた。
三日目(6月22日)


電力総連のみなさんのエイサー

平和アピール採択
 1800人が参加した最終日の「連合平和オキナワ集会」は、二部構成で行われ、第一部「若者たちの平和メッセージ」では、エイサー、平和メッセージ、琉歌が披露された。若い世代から発信されたストレートなメッセージに、参加者は真剣に耳を傾けた。
 続いて行われた第二部で、草野事務局長が主催者を代表してあいさつ。このなかで、日米地位協定と米軍基地の問題に触れ、「命とくらしを守るためには、これらの見直しが必要。連合として、世論を大きくしていく運動に取り組みたい」と述べるとともに、現在、稲嶺沖縄県知事が全国を飛び回りすすめている地位協定改正の取り組みを高く評価。この運動に対する支援・協力を約束した。集会はこの後、フィールドワークの報告を連合愛知、海員組合の代表から、職場報告を情報労連の代表者から、また地域の報告を連合北海道の代表者から受け、最後に平和アピールを採択。三日間にわたる平和行動を締めくくった。
四日目(6月23日)

安保の丘(後ろは嘉手納基地)

楚辺通信所(通称ゾウのオリ)
 連合愛媛一行5名は、その後中・北部に点在する米軍基地や安保の丘、楚辺通信所(ゾウのオリ)を視察し最終の仕上げを行った。
事務局(杉本副事務局長)からひとこと  

私自身、沖縄には数度訪問していますが、『平和行動』は今回で3回目です。10年弱前に初めて参加した『原水禁行動』で受けた沖縄の“せつなさ”、“におい”そして魂を揺さぶるほどのショック。広島・長崎とはまた違った悲しみの島。忘れられないこれらの思いを若い仲間たちに感じてもらいたい。そんな思いでここ2回は青年委員会・女性委員会のメンバーを引率(ちょっと生意気ですが)させていただきました。参加者にできるだけ多くの沖縄に触れていただくことを主眼に日程調整したため、若干ハードなスケジュールとなりましたが、無事全日程を終えることができました。

 今回の行動での一番の成果は、沖縄の歴史や平和問題を現地に赴くことで疑似体験などを通し実感することもそうですが、やはり二日目の「ぴーす・フィールドワーク」での“連合沖縄青年委員会のピースガイド”の皆さん方の温かいそして心からの訴えに触れることができたことでした。最初は若干緊張されてたようでしたが、大汗をかきながら懸命に我々参加者にその思いを伝えようとする若者の姿に、同世代の連合愛媛の参加者たち(青年委員会)は、大きなそしてかけがえの無い何かを感じ取ってくれたはずです。そのことはそれぞれの感想文を読んで頂ければ十分わかってもらえると思います。反面で事務局として、「同じことが連合愛媛の青年・女性委員会あるいは連合愛媛でできるだろうか」と考えたとき、明日からの運動に一定目標ができた気がしました。

 最後に、労働組合の立場から将来の日本を考える上で一つのヒントみたいなものが沖縄にはあります。ご存知のように沖縄の雇用環境は惨憺たるものです。しかし、沖縄には“将来”を自分たちの手で作り出そうとして奮闘している若者がたくさんいます。那覇市のメインストリートに『国際通り』という観光スポットがあります。かつて「奇跡の1マイル」と呼ばれ復興のシンボルとして活気あふれていました。しかし今は、人通りはあるものの、通りに立ち並ぶ商店は「勝ち組」と「負け組」に分れ、街全体としての活気を失っています。この『国際通り』の再活性化に『コミュニティーFM』という手法で町おこしに挑んでいる喜友名智子(きゆな ともこ)さんという方がいます。名前に聞き覚えのある方もいると思いますが、2年前の参議院選挙(島川選挙)で応援に駆けつけてくれた松下政経塾卒塾生です。時間が許せば沖縄の“過去”だけでなく“未来”についても考えるチャンスを作りたかったのですが、それは次回のお楽しみにさせていただきます。
 また、行きましょう!


                                                            以上

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