連合愛媛では、6月23日〜25日にわたって開催された 「2005平和行動in沖縄」に何と12名(地協6名、構成組織5名、事務局1名)という大部隊で参加しました。この沖縄平和行動へ連合愛媛からこれだけの人数が参加するのは初めてだと思います。今年は戦後60年という節目の年であり、連合としても8月の広島・長崎では初めて3団体(連合・原水禁会議・核禁会議)合同の平和集会を開催し、中央執行委員会も当地(広島)で実施するなど、並々ならぬ力の入れ方です。当然、各地方連合会も気合を入れて例年にない人数で参加し行動を盛り上げました。

 上の写真は24日の18時から普天間基地前で行った『米軍基地の整理・縮小を求める集会』の様子です。全国47都道府県から1000名を超える連合の仲間たちが参加し、全員で「普天間基地を閉鎖しろ!危険な基地を直ちに閉鎖しろ!」とシュプレヒコールを行いました。連合愛媛からの参加者はその殆どが初めての体験だったようですが、どうにか皆に合わせてやっていたようです。(連合愛媛では数年前から春闘決起集会とメーデー後のデモ行進でシュプレヒコールやってんですがね…。でも、うちだけじゃないようでしたけど)

  

  
 この後、昨年8月13日に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学前までデモ行進を行って一連の行動を締めくくったわけですが、実は、基地前の集会開催中、宜野湾市長の挨拶くらいまで、基地内から米軍・CH−53D型ヘリ(沖縄国際大学へ墜落した事故機と同型)の爆音が聞こえてました。図らずもそういった臨場感を体験してから見る墜落現場は、周辺の静かな住宅街の風景とあいまって、『街中の基地存在』の理不尽さを我々に訴えかけるには十分すぎるものでした。(聞くとこによると、この校舎は数日後から改修作業が行われ、墜落現場を生で見るのは最後になるということでした)

   

   
 話は前後しますが、この日は早朝より「ぴーすフィールドワーク」で南部戦跡(平和記念公園・ひめゆりの塔・糸数壕・etc.)を視察しました。連合沖縄青年委員会の皆さん方がガイドを担当し、我々参加者に懇切丁寧な説明をしてくれました。2年前くらいから実施しているようです。確か2003平和沖縄のREPORTにも書かせていただいたのですが、大汗をかいて一生懸命説明(訴える)される若者の姿にただひたすらの敬意を表すものです。
   
 前日の23日は15時から那覇市民会館で行われた『連合 2005平和オキナワ集会』に全国47都道府県1600人の仲間たちとともに参加しました。
 第1部では女優の北島角子さんが1人芝居で、沖縄戦での『集団死』(家族同士で殺しあいを行わざるを得なかった事実)の悲劇を演じました。また、沖縄国際大学の学生が米軍ヘリ墜落事件を題材に、創作ダンスを披露し、「これまで米軍基地の存在は“日常”のことだった。しかし昨年の事故をきっかけに、何か行動しなければと思った」と訴えました。
 第2部の式典では「日米地位協定の抜本見直しに向けた連合要求」の説明や「核兵器廃絶1000万署名」運動で集めた850万人分の署名の一部を、5月にニューヨークの国連本部でNPT(核不拡散条約)再検討会議議長に手渡したことを報告し、核兵器廃絶に向けて引き続き支援・協力を求めました。
 余談になりますが、来賓の中で民主党県連代表の喜納昌吉参議院議員が唯一出席されてた政党代表者(三人のうち二人は欠席)でした。ご本人も挨拶したそうにされてたんで、してもらってもよかったのになぁと、無責任に思いました。(まあ、あのキャラですから主催者側としては「収拾がつかなくなるというリスク」は負えませんよね)

 さてさて、話を元に戻して…基地前集会とデモ行進です。梅雨明け寸前の沖縄、不快指数100%です。雨もポチポチ落ちだしました。(実際にデモ終了後に物凄いスコールに見舞われました) 早朝から丸1日歩き回ってくたくたです。そんな最悪の状態の中でも前述の23日24日の貴重な日程をこなしてからの行動です。気合が入らないわけがありません。初めての人もそうでない人も全員が一丸となって声の限りに平和を訴え全体の平和行動を終えました。

   

   
 連合愛媛では、次の25日は独自の平和行動を行いました。まずは世界遺産の首里城です。ここは先の大戦で消失してしまい現存するのは復元されたものです。何故か?京都や奈良、鎌倉が空襲を免れて、貴重な文化遺産である首里城が破壊されたのか?それは追い詰められた日本軍(沖縄守備軍)が首里城の地下に軍司令部壕を置き、徹底抗戦の構えをとったからです。換言すれば「日本軍が文化財を盾にしたから」なのです。

 左下の写真は通称「ゾウのオリ」で有名な読谷村の楚辺通信所です。米軍による強制使用期間が前日で切れ、1996年4月1日から国による不法占拠が始まり、日米両国政府が平成7年に設置した「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」での2国間協議で「16年度返還」としたにもかかわらずいまだに返還されていない『沖縄基地問題』『日米地位協定』の象徴的な場所です。

 当然ながら観光ルートには載ってませんが、私が沖縄に行くときには必ず立ち寄ることにしています。(今回みたいな平和行動なら尚のことお連れします)

 その隣の写真も必ず連れて行くポイントです。通称『安保の丘』、もともとは終戦後、帰国した南米移住者たちが土産物屋を営んでいたことから『サンパウロの丘』と呼ばれていたのですが、「日米安保条約」の実態を目のあたりにできるからってことで、こう呼ばれるようになったようです。いずれにしても「沖縄が基地の島だ」ということを実感できる絶好のポイントには違いありません。嘉手納基地が間近に一望できる唯一の場所です。
 丘自体は基地内ってことで米軍による閉鎖の噂もありましたが、どうにか現存していました。訪問した日は25日の土曜日だったので、F15などの戦闘機の爆音を聞くことはできません。残念!

 いずれにしても大きなトラブルもなく、無事『連合2005平和行動』のスタートを切ることができました。これから広島・長崎、最終根室まで連合愛媛では気合を入れて行動しますので、参加される方はそのつもりで気合を入れていきましょう。

 こうやって、Reportを書いている最中にも嫌なニュースが入ってきます。7月3日朝、嘉手納基地所属の米兵がワイセツ事件を起こしました。飲酒の上、小学校5年生の女児の胸を触ったとか…。何をかいわんやです。沖縄には日常的にこの種の事件がつきまとっています。『Yナンバー』のお話もしたいんですが、また今度にします。
 それから、例の『沖国大の壁』ですが、いよいよ解体・切断・撤去が始まりました。ホントあれが見納めでした。現地では壁の保存を訴える声も出てきているようですが、どうなることか?
               
               写真は沖縄タイムスさんからお借りしました。

 そうそう、今回また友人で沖縄在住の喜友名智子さんお会いしました。この米軍ヘリ墜落事件について、いわゆる「うちなんちゅー」と「やまとんちゅー」の受け止め方の決定的違い熱く語ってくれました。2004年8月13日午後2時過ぎに米軍ヘリが墜落するわけですけど、当然沖縄の夕方から夜にかけてのトップニュースはこれです。しかし、しかし、何と本土のトップは『某球団のオーナー辞任』でした。NHKまでもがそうだったようです。「なんちゅう国や、この国は!」日本国に対してそう思った「うちなんちゅー」は決して彼女だけではなかったと思います。
 実は彼女、私が勝手に『女性初の沖縄県知事』になるものと確信している猛者(失礼)ですが、来秋イギリスに研究しに行くそうです。(前回も紹介した地域おこし・町おこしの研究だと思います) 昨日、ロンドン同時多発テロが起き騒然としていますが、くれぐれも気をつけてください。
 それと彼女、先日発売されたゴーマニズム宣言『沖縄論』(小林よしのり)にも出てるんですよ。実名で。11章(P171)から13章(P218)まで、結構長い!! 著者のよしりんも喜友名さんを評して「沖縄女性の知的水準の高さを思い知らされた」と結んでいます。沖縄知事もあながち夢でもないでしょ。
 
まったくの余談です。
 私自身、平和行動は広島・長崎・根室などなど、10回以上は参加しています。最初は何も分からず、ただただついていくだけという状況でした。初参加のときの失敗談をひとつ披露します。もう10数年前のことですが、連合じゃなくて『原水禁』の枠組みで長崎平和行動に参加したときのことです。様々な分科会や学習会がある中で、私は連れと二人で『佐世保基地の海上からの視察』に参加させられました。というのも愛媛からの団の中で若手二人という理由で、丸々1日つぶれる分科会があてがわれたのでした。(おそらくベテラン参加者たちはこの日は市内…)
 長崎市からバスに分乗して佐世保市まで行き、チャーターした船で海上から基地を視察して学習する企画です。佐世保まではよかったんですが、いざ、船に乗ってみるとなんとなく他の参加者の匂いが違うんです。説明する人はとても上品です。どっかの大学の先生でした。前の席にはアングロサクソン系の外国の方が座ってます。(こんな人バスにおったか?) 隣のこれまた品の良いご夫人が話しかけてきます。「どちらからのご参加ですか?」「四国の愛媛県です」「じゃあ○○さんとご一緒ですね」「は、は〜?」…なんか変です…。
 そうこうしてる内に船上視察終了。上陸すると同時に「デモ行進はこちらからスタートしまーす」のアナウンス。「おい、デモなんか予定に入ってたか?」「いいや」  ありゃこれってひょっとして…。たった今降り立った桟橋に目をやると、先ほどまで乗ってたクルーザーには遠く及ばないポンポン船から見覚えのある連中が下船してるではないですか。そうです。そのとおりです。別の団体に紛れ込んじゃったんです。それも当時先輩たちから絶対近寄っちゃダメだって聞かされてた「原水○」です。でも、若かりしころの私の率直な感想は、船中だけの体験でしたが「別に何も変わらんのとちゃうん?」でした。
 夜、長崎に戻り正直に団長以下諸先輩に報告すると、ニヤニヤしながら「見た見たやっぱお前らやったんか。テレビニュース写っとたデ。でもまあ、同じ平和運動やけ、カマンカマン」ってことでした。

 で、何でこんな話するかと言うと今回の平和行動で気になることがあったからで、それは自戒もこめて報告しとくべきだと判断しました。だから、まずは自分の失敗談を披露した上での方がいいと思ったからです。

 今回の参加者は全員が初参加でした。それはそれで、むしろ大歓迎です。しかし、複数の参加者から初日の23日の集会直前に「ところで今日は何の日なんですか?何があるん?」って尋ねられた日にゃ…。確かに当日は早朝出発で新聞読む暇なかったかもしれないですけど、そりゃないでしょ。小泉首相も今ここにおるんやで。「ホントに知らんの?」「沖縄返還記念日!」「それって5.15」……??
 少なくとも連合の平和行動に構成組織を代表して参加しているんじゃないですか。中味は現地で学習するとしても「6.23」の意味くらい知って参加してほしかったです。まあこれは、我々連合や派遣する組合にも責任があると思います。事前に一定の予備学習会なんかも考えないといけませんかね?まあ、あまり堅いことばっかり言ってもしょうがないですが…。
 今年は、沖縄・広島・長崎・根室の連合平和4行動の参加者全員に感想文か報告書を提出してもらおうと思ってます。そして、1冊の報告書として皆に読んでもらおうと思います。さあ、どんな報告書が出来上がるか乞うご期待!
 また、いきましょう!

 参加者の感想文はこちら