連合 平和行動 in 沖縄に参加して                 東宇和地協 議長 高岡伸仁
                                                        (JPU)



 平和行動in沖縄に参加して考えさせられたこと、ちょっと違った面から述べます。







   感 想 文   
1.平和と国防(憲法9条も含めて)
平和でありたいと思う気持ちは、万国共通のものであろう。米国でも、イラクでも、北朝鮮でも、それは同じはずである。しかし、国益、宗教がからんで「単なる平和を願う」だけでは、解決はない。国連を中心に、世界のルール作りが必要であろう。
それでも争いには、相手がある。「平和であること」を願うだけでは、相手はゆるしてくれない。確固たる国防を備えてこそ、平和を語れるのではないかと考える。それを含めて憲法9条見直しは是非必要である。

2.教育の怖さ
ひめゆりの塔なども見学したが、その悲劇が起こったのは沖縄終戦6月23日よりあとだったことに注目したい。戦争が終わったのだから米軍に白旗を上げればそれで済んだはずなのに「住民にそれをさせない」教育・洗脳におどろかされる。
教育の大切さ、自由で正しいマスコミについても十分に考えたい。

3.「平和」が政党・団体等に利用されないように、「平和」をテーマとする団体・政党が存在するのは当然としても、それを自分たちの勢力拡大の為に利用すべきではない。その点において今回連合、原水禁、核禁会議が統一して行動できることを評価したい。

 2005平和行動 沖縄に参加して         東宇和地協 事務局長  宇都宮 茂史
                                         (私鉄総連・宇和島自動車労組)



 戦後60年、ほとんどの組合員が戦後生まれとなり、戦争体験者のOBも高齢となるなか、後輩達に平和の尊さを伝えていかなければという思いで、この平和集会に参加させていただきました。
 太平洋戦争で唯一、一般住民が地上戦を体験した沖縄で戦争の愚かさや平和の意味を芝居で伝えた北島角子さんの一人芝居は、とても感動的で自然と涙がこぼれ落ちていきました。
 米軍基地が沖縄の一等地にでーんと居座る現実、今なお沖縄の人達に重くのしかかる戦争の傷あとに平和への思いを新にし、そしてこの惨劇を決して忘れてはいけない、風化させてはいけないと強く心にきざみました。
 最後に、連合沖縄の人達のあたたかい歓迎と大変なご苦労に感謝申しあげ、貴重な体験をさせていただいた関係各機関の皆様にお礼を申しあげます。ありがとうございました。

 沖縄レポート                              東宇和地協 山中栄一郎(JPU)





 梅雨の中の沖縄であり、湿度の高さと気温に少々体力をうばわれた中ではありましたが、まずは全日程に参加することが出来とても良い経験となりました。特に印象に残ったのは、海のすばらしさ、自然のすばらしさと米軍基地のコントラストを感じました。四国に在る自分にとっては平和のたいせつさをつくづく実感した経験となりました。


 「2005平和行動in沖縄」参加レポート                 宇和島地協 黒田俊一(JPU)













 那覇空港の建物から外に出た途端、強烈な陽射しと蒸し暑い空気で、沖縄に来たのだと実感が沸く。私にとって初めての土地であり、目にするあらゆるものが新鮮に映る。街ゆく人々の、我々のものとは明らかに異なる種類の顔、鮮やかな色彩の植物たち、簡単には読めそうもない地名・・・。高揚した気分でタクシーの窓から外を眺めていると、突如、鉄条網で囲まれた施設が我々の視線を横切り、ハッとする。米軍の基地だ。
 到着後間もなく突き付けられた、観光地としての沖縄とは別の一面、しかし紛れもない厳しい現実。そう、ここでの生活のすぐ隣にはミサイルや飛行機があるのだ。実際、沖縄滞在中、朝刊には毎日のように米軍基地関連の記事が一面に出ていた。そう言う意味でここは、四国とは全く別の土地なのだ。それに較べれば、気候や風習の違いなど瑣末(さまつ)なことに過ぎない。
 今回の平和行動を通じて知った沖縄戦は私にとって衝撃だった。沖縄戦当事の資料を見、実際にガマ(地元民や日本兵が隠れて生活していた塹壕)に入り、沖縄の人々がいかに過酷な、理不尽な扱いを受けてきたかを知った。そもそも、当時沖縄は日本ではなかったのだ。「日本兵がやって来て・・・」と説明があったとき、それは沖縄にとって外国の兵士のことなのだ。戦時だけではない。戦後60年経った現在でも、在日米軍施設のほとんどが沖縄に集中しているという現状がある。それに戦争の爪跡は未だあちこちに残っており、沖縄の人々にとって、先の大戦は「歴史上の出来事」では決してないのである。沖縄も現在、れっきとした日本の一部となったが、沖縄の人々が、日本という国について、日本人についてどう思っているのか。我々には計り知れない複雑な思いがあるのではないか。
 今回沖縄を訪れたのは連合の平和行動に参加するためだったが、仮に観光で行ったのだったならば、沖縄のごく一部の面しか分からなかったろう。海の美しい、料理の美味しい、愉快な土地だという呑気な認識以上のものは持てなかったのではないか。今回の経験が、今まで他人事だと考えがちだった「反戦・平和」の問題について真剣に対峙するきっかけとなればと思う。
 那覇空港の建物から外に出た途端、強烈な陽射しと蒸し暑い空気に包まれ、沖縄に来たのだと実感が沸く。私にとって初めての土地であり、目にするあらゆるものが新鮮に映る。街ゆく人々の、我々のものとは明らかに異なる種類の顔、鮮やかな色彩の植物たち、簡単には読めそうもない地名……。高揚した気分でタクシーの窓から外を眺めていると、突如、鉄条網に囲まれた施設が我々の視線を横切り、ハッとする。米軍の基地だ。
 到着後間もなく突きつけられた、観光地としての沖縄とは別の一面、しかし紛れもない厳しい現実。そう、ここでの生活のすぐ隣にはミサイルと飛行機があるのだ。実際、沖縄滞在中、朝刊には毎日のように米軍基地関連の記事が一面に出ていた。軍用機が我々の頭上を横切り、街中にはYナンバーの車が少なくなかった。そういう意味でここは、四国とは全く別の土地なのだ。それに較べれば、気候や風習の違いなど瑣末なことに過ぎない。
 今回の平和行動を通じて知った沖縄戦は私にとって衝撃だった。沖縄戦当時の資料に目を通し、実際にガマ(地元民や日本兵が避難していた生活壕)に入り、沖縄の人々がいかに過酷な、理不尽な扱いを受けてきたかを知った。戦時だけではない。戦後60年を経た現在でも、在日米軍施設のほとんどが沖縄に集中しているという現状を我々は忘れてはならない。それに戦争の爪痕は未だあちこちに残っており、沖縄の人々にとって、先の大戦は「歴史上の出来事」では決してないのである。沖縄はもちろん、れっきとした日本国の一部であるが、沖縄の人々が、日本という国について、日本人についてどういう考えを持っているのか。我々には計り知れない複雑な思いがあるのではないか。
 今回沖縄を訪れたのは連合の平和行動に参加するためだったが、仮に観光で行ったのだったならば、沖縄のごく一部の面しか分からなかったろう。海の美しい、料理の美味しい、愉快な土地だという呑気な認識以上のものは持てなかったのではないか。今回の経験が、今まで他人事だと考えがちだった「反戦・平和」の問題について真剣に対峙するきっかけとなればと思う。

 平和行動in沖縄                           JAM(井関労組) 足立憲司



 第2次世界大戦や沖縄戦について、多少なりとも予備知識があるつもりで参加しましたが、実際に現地で見て学んだ内容は、非常に衝撃的でした。特に、戦争経験者による実話や、実際に使用されていた防空壕内の見学は、体で感じることでしか得られない貴重な経験ができたと思います。また、沖縄滞在中は、今なお戦争の結果に苦しめられている沖縄の実態を目にしました。いたるところにある米軍施設や、米軍ヘリ墜落現場を見学し、また日米地位協定に根ざした米軍、米兵による事故・事件の話を聞き、沖縄では戦争の爪痕はまだ完全に癒えていない事を知らされました。今後は今回の経験をより多くの人に伝えることで、戦争の惨劇が風化しないよう、また沖縄に真の平和が訪れるよう貢献できればと思います。

 平和行動 in 沖縄に参加して                  中予地協 事務局長 玉井敏久
                                               (電力総連・四電労組)








 沖縄戦終結60年という節目の年に、平和行動へ参加させていただいたことにまずは感謝を申し上げたい。
 「太平洋戦争」における沖縄戦の役割は、国体護持のための「捨て石作戦」であり、一般住民までを根こそぎ動員した戦であったことを改めて認識させられた。
 また、戦争の副産物といってもいい普天間・嘉手納を始めとする在沖米軍基地に対する沖縄県民の想いを、短時間ではあったがつぶさに見て感じることができ、私にとって大変意義深い平和行動への参加であった。
在沖米軍基地の整理縮小は、沖縄県民の負担を軽減する重要な課題であることは言うまでもないが、我々日本国民が力を合わせ大きな前進を図ること自体が平和への一歩であることだと肝に銘じ、一人の人間として責任ある行動をとりたい。
 
 沖縄平和行動の感想                                JPU  上野 一貴


 今回、沖縄の平和行動に参加させて頂いて、沖縄戦における地元の方々の体験談や、米軍基地の現状を直接、生の声で聞かせて頂くことができ、貴重な経験をすることができました。また、自分の沖縄に対する考え方も少し変わりました。
 見るもの、聞くことすべてが新鮮で大変勉強になりました。またこのような機会があればぜひ参加させて頂きたいと思います。
 
 沖縄平和行動の感想                                JPU  坂本 智康

 今回の平和行動で、沖縄戦の悲惨さなど、知らないことがたくさん勉強になりました。今でも戦争がいろいろな国でありますが、平和な日本に暮らす自分の甘さに気づかされました。あらためて平和の大切さを痛感させられた行動でした。

 平和行動in沖縄                                JAM(井関労組) 山根暢宏


 私は今回初めて平和行動というものに参加しました。
米軍基地が沖縄に多いというのは知っていましたが75%もあるというのは驚きでした。自分は普段米軍基地というものになじみがなく地位協定なるものも名前ぐらいしか聞いたことがありませんでした。
 しかし今回この平和行動に参加し話を聞くとこんな理不尽なものがなぜ今まで続いているのか不思議でたまりませんでした。
 またピースフィールドワークをとおして沖縄戦についても学ぶことができました。中でも印象に残ったのは日本軍によって殺された住民が居たという事実でした。歴史、文化が違うという理由でスパイ視され殺されたり、情報漏れを恐れて自決するようマインドコントロールされたり避難していた壕でさえ軍により追い出されまさにどうすることもできない状態でした。
 それにしても沖縄戦、米軍基地といい戦時中、戦後とも沖縄の負担の大きさには驚かされました。
 沖縄は国の補助金、事業が多いと聞きますが補償のためなのでしょうか。
 今回平和行動in沖縄に参加して戦争の負担をすべて沖縄に押し付けているという言葉はまさにその通りだと実感しました。
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