『連合愛媛2006平和行動INオキナワ』集会に参加して

               帝人労働組合松山支部 書記長  小佐海 三喜男

 初めての参加であったが、現地を訪れて改めて太平洋戦争の悲惨さを痛感した。なぜ、この様な殺し合いをしたのだろう。途中でお互い戦争をやめることは出来なかったのだろうか。入問の恐ろしさを感じた。
 参加初日の「2006平和オキナワ集会」では、3人の高校生の詩が朗読された。戦争を知らない若人が、一生懸命戦争の惨さを詩に託し、後世に伝える思いには胸を打たれた。特に「平和への証言」として北島角子さんが演じた一人芝居には涙を誘う悲しい体験者の生きた訴えであった。
 2日目は「ピースフィールドワーク/南部戦跡に学ぶ」行動に参加した。沖縄南部には象微の首里城をはじめ、沖縄戦線の実相にふれる「ガマ=壌」が多数ある.ガマとは秋芳飼の錘乳洞を小さくした洞穴である。糸数壕(アブチラガマ)を見学したが、暗く狭い桐窟の中で一時は1,000人の軍隊や住民が避難しながらも米軍と戦った様を説明いただいた。ひめゆり資料館・平和記念公園・嘉数高台等々、いずれも戦争の悲惨さを訴えるものばかりであった。
 長崎の原爆・広島の原爆での悲惨さとは違った人間同士の憎しみの戦争がそこにあった。沖縄県人が本土を死守するために、身を挺して守ろうとした思いがそこにあった。61年前、住民の8割が戦死した中で、現在は140万人が沖縄諸島に暮らしているという。何という生命力なのだろう。
南国特有の親しみ深い朗かな、いでたちからは想像も付かないカ強さを感じた。1972年、沖縄は日本に返還された。そうだろうか?
 沖縄に米軍基地がある限り、本当に日本に返還されたとは言えない。基地がある限り沖縄県人の皆さんは苦しみ続けるのではなかろうか。僅か3日間の滞在ではあったがこのように感じたのは私だけではないと思う。

                              東レ労働組合 愛媛支部  田中 剛

 今回、私にとって初めての沖縄は、美しい海が広がり、自然にも恵まれ、まさに予想していた以上の場所だと感じた一方、61年前に悲惨な戦争があったとはとても想像できないというのが第一印象でした。
 これまで、学生時代にも広島、長崎の原想や各地の空襲についての戦争教育を受け、自分では戦争の悲惨さを知っているつもりでした。
しかし、実際に平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館を回り、沖縄での戦争が今まで知っていた戦争とは全く異なることを知りました。例えは市民、子供が強制的に戦闘に参加させられ多くの若い命が失われたこと、また「捕虜になるなら死を選べ」との洗脳によって、家族が家族を殺さなければならなかったことなど、今の平和な日本では考えられないことが当時の沖縄であったのです。
 また、実際に足を運び,現地の人の説明を受けることで、戦後61年経った今も、戦争で受けた心の傷に悩まされる人々がいること、米軍基地により街が分断され、毎日の生活や街の発展に障害となっていることなど、沖縄での戦争は終わっていないことを知りました。
最後に自分が大人になり子供ができた今、平和行動に参加したことで、自分の子供には絶対に戦争の悲惨な体験をさせたくないという気持ちになり、今回平和行動IN沖縄に参加できたことに、大変感謝しています。
                        JAM井関農機労働組合 松山支部  林 秀彦

 私が、この平和行動に参加して感じた事は、自分の戦争に対しての甘さです。いままで、このような集会に参加した事はなく平和の尊さを実感しました。那覇市民会館で行なわれた、一人芝居「赤いブクブク」では、当時の様子が表現されて、観ていると涙が溢れるほど悲しいものでした。罪のない人々が様々な被害に遭い、沢山の血と涙が流された当時の悲惨さを想像すると、胸が絞めつけられる思いでした。
 「糸数の壕」では、暗闇と恐怖の中、2カ月も生活して負傷者の手当や想像を絶する事をしていたと聞き、戦争の恐ろしさと、もう二度と繰り返してはいけないという思いが、更に強くなりました。当時は、軍が住民に死を強制・誘導し「集団自決」をしました。家族同士が殺し合うなど気持ちを考えると言葉になりません。「平和の礎」で見た被害者の数の多さは忘れられません。最後に、被害者のご冥福をお祈りしたいと思います。

2006連合愛媛平和行動に参加して
                      JAM井関農機労働組合 松山支部  二宮 悟志

 私は、この平和行動に参加するまで沖縄戦争の事をあまり知りませんでした。色々な所を見学させていただき、当時の悲惨さが少しずつ分かってきました。私が、一番印象に残ったのは「糸数壕(アブチラガマ) で、あの暗闇の中での生活は想像を絶するものがあり、ただ被害者のご冥福を祈るばかりです。自分を、被害者の立場に置き換えると、とても恐ろしく悲しくなります。戦争は人が人でなくなり、とても残酪なものであり二度としてはいけないと強く思います。戦争中は、捕虜になるなら自決しろと教わり、自分の子供を手に懸けた人も沢山いたそうですが、私も子供がいるのでその時の事を思うと、胸が痛くなり戦争が憎くなります。二度と戦争が起こらない事を願い、この平和行動で体験した事を少しでも周りに知らせていきたいと思います。