(その1)期待通りの首相挨拶??

 季節外れの台風?(低気圧)の影響からか、羽田からの飛行機が遅れ(たぶん)、会場入りが大幅に遅れた小泉首相。議長のシャメンダ会長の配慮で事なきは得ましたが、来賓挨拶の内容は予想(期待)通りの『官僚作文』で中身なし。せっかく議長が公務員制度改革の件に触れて紹介したのに、気の利いたアドリブもなし。英語わかんないこと無いと思うんですが?

まあ、ILO(結社の自由委員会)から例の日本の公務員制度改革案件に関し、「87号条約(結社の自由・団結権保護)、98号条約(団結権・団体交渉権)に係る判例を基礎に、再考すべき」と勧告されている状況ですから、来てくれただけで御の字ですよね。


お疲れもようの小泉総理
(その2)なんと女性の参加率40%!

 なんと、本大会の女性の参加者は代議員、オブザーバー全部合わせて40%を達成したそうです。スバラシイ!女性中心の会議(例えば女性集会など)ではなくって、この種の大会でこの数字は日本では驚異の数字fだと思います。(先だってオーストラリアのACTUの会議を傍聴させてもらったのですが、その時も多かったなあ。多分50%近くは女性だったと思います。やはり日本はまだまだ遅れてるのでしょうか?)
 もちろん準備段階からICFTUの標榜する男女50:50の目標がありはしましたが…。

 大会2日目の6日にはサイドイベントとして女性代議員会議が開催され、愛媛からも高木和美事務局長が参加しました。
 国際女性活動家約50名と連合の女性参加者約70名の計120名が参加しての意見交換会の冒頭、連合の副事務局長である林誠子座長が、「パートタイム労働者が増加し、賃金等の男女間格差は改善されない。『同一価値労働・同一賃金』原則の実現は緊急の課題であり、そのために十分な意見交換をしたい」と挨拶しました。


※これは連合内の反省会でも出てくると思うのですが、同時通訳のレシーバーの数が全然足りなくて参加者がブーブー言っていたそうです。連合関係の参加者は海外の皆さんへ譲ったそうですが、それでも足りなかったとのことです。高木さん曰く「日本人の言ってることだけどうにか分かったけど…あとは??」
 実はメイン会場にはかなりの数のレシーバーが余ってたんですよね。配分方法が悪かったのか、力関係なのか?

高木さんのReport(今作成中)

ほんとに多かった女性参加者たち


愛媛から四国ブロック代表として参加の高木事務局長
(その3)平和は切っても切れない永遠のテーマ

 連合は唯一の被爆国のナショナルセンターです。笹森会長の歓迎の挨拶の中でも紹介したように、大会会場の入り口ロビーで原爆資料展を開催していました。展示資料は英語、仏語、西語、日本語で紹介された写真パネルと遺品です。
 会議の合間を縫って多くの方々が熱心に見入っていました。事務局も立派な解説冊子(右の写真)を用意するなど、力の入れようが伝わってきました。(国民運動局の林さん、ナイス!です) 私も外国の方に混じって折鶴を折って来ましたが、隣の人(外国の方)上手かったなあ。
 大会期間中にも10カ国以上のナショナルセンターから自国での原爆展の開催申し入れがあったようです。こと原爆についての実体験は、日本からしか発信できませんから。

 それと、私が個人的に感銘を受けたのは大会3日目の7日に壇上に立ったセルビア・モンテネグロ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の代議員のスピーチでした。写真でも分かるように通訳(女性の方)がついてのものでした。スピーチはボスニア語なのかセルビア語なのか私には分かりませんが、日本語の同時通訳ではボスニア・ヘルツェゴビナの代表と訳していたように思います。この地域は本当に複雑みたいです。長らく続いた内戦(ユーゴスラビア紛争、コソボ紛争、ボスニア戦争)によって今現在も多くの国民が辛い思いをしていること。そんな中での労働組合の存在意義と連帯を切々と訴えておられました。
 90年代のこれらの内戦の末期、テレビに映し出された瓦礫の中のオリンピックスタジアムを見たとき、恥ずかしながらここが旧ユーゴスラビアだった事を再認識させられました。この国がニッカネンの大ジャンプに胸躍らせ、銀盤を舞うカタリナ・ビットにジャネット・リンとは違う憧憬を抱いた’84の冬季オリンピックが開催されたサラエボの国だったとは…。正直ショックを覚えた記憶が蘇りました。


立派な資料冊子でした


男性が代議員
(その4)懐かしい?顔との再会

 いやはや懐かしい(?)人に再会しました。その人は、昨年の2月に連合愛媛で受け入れた『海外労働視察団(ロシア・中央アジアチーム)』の団長で、全ロシア労働総連盟のボリス・クラフチェンコ国際局長でした。
 休憩中に資料に目を通していると、何か大声で叫びながら握手を求めてくるではないではないですか。大男が。隣の高木さんもビックリです。私もビックリして顔を上げるや否や今度は抱擁です。男同士の力強い抱擁です。すぐに分かりました。「ボリス?」「ダァー」  確かに2年弱前に愛媛の松山の夜、ウォッカの勢いに任せて抱き合った感触です。そういえば次の日の別れ際にも彼とは抱き合ったなぁ…素面で、? 女性の皆さんとは握手だったのに…。ついあっちの習慣かなって男相手に抱擁やったけど、案外向こうもそう思っていたりして…。
 ボリスはまだ35歳という若さなんで「一応国際局長ってんだからもう少し英語勉強しろよ」って言ってやりたかったけど、こっちっもロシア語話せないんで伝わりませんでした。残念!
 まあ、でも日本語とロシア語と片言の英語でどうにか再会の喜びと互いの友情は確認できたと思います。短い時間でしたが宮崎に来て良かった思いました。
 でも、よく見つけてくれたなあ。あんな大勢の中から。
「スバシーバ(ありがとう)!ブッチェ ズダローヴイ(元気で!) ボリス」


右から5人目がボリス、私は3人目(松山城で)
(番外)さすがICFTU!

 さすがICFTU。地元宮崎でも最大規模の国際会議で歓迎ムード一色でした。確かこのコンベンションセンターを有名にしたのは故小渕首相の肝いりで開催された2000年7月の九州・沖縄サミットでしたが、規模的にはそれ以上との事です。

 規模の大きさを表したのが通訳の関係です。残念ながら先述したようにボスニア語(?)の通訳は逐次通訳だったんですが、同時通訳はな、なんと9ヶ国語に対応してました。一体何人の通訳の方がおられたんでしょうか?組み合わせですから……??しかも同時通訳ってことは一級の方々が揃ってないといけません。ICFTU、いやこれはホストの連合はすごいって方が正しいかな。ちなみに大会コングレスガイドは5ヶ国語対応でした。

 それと、本大会にはゲストスピーカーとして二人の大統領が来日され講演をされました。お一人はタンザニアのムカパ大統領で、いま一人はフィンランドのハロネン大統領です。これもまた、ICFTUの力量を示したものでしょうか?

 かくゆう小生も国際会議の余波を若干受けちゃいました。元来奥ゆかしい性格なので、自分から進んで異国の人へお声がけなどできませんが、生まれつき持ち合わせた優しさからか、会場内外でよく声を掛けられました。
 3日目の会議終了後、ホテルまでの帰りのバス(普通の乗り合いバスです)での出来事です。私の後ろに座った黒人が訛った英語で尋ねてきました。
「Does this bus go to Miyazaki station?」 
 実は私も宮崎で乗る初めてのバスで、行き先は『橘通り』でした。だから、運転手さんの真後ろに陣取ったんです。私も不安なんです。でも『橘通り』も宮崎市の中心街なので近くに駅はあると思い、運転手さんに肩越しに聞いたところ「行きますよ」ですって。「ホッ」 多分この時は咄嗟だったんで、
「OK!宮崎ステーションOK!」
 って日本語で返事してあげました。それからが大変でした。居眠りすることもできずにアナウンスに気を集中し通しです。いつ宮崎駅のアナウンスがあるか分かりません。時折背中をつつき不安げな顔で
「Miyazaki station?」
って尋ねるんです。何回も。市中に入ってそろそろかなぁってころ、改めて、中学クラスの英語で
「Do you want to go to Miyazaki station?」
で尋ねたら、一瞬ポカンとして
「OK!」
って返事。
 いよいよ来ました。「次は宮崎駅でーす」よーしこれでお役ゴメンだ。
「The next bus stop is a destination...OK?」 
またまたポカーン。一生懸命頭の中で練習しての発声だったのに…。伝わらない。待てよ、この人英語ダメなんじゃ?確かにフランス語っぽい訛りだったよなぁ。きっとフランス語圏のアフリカ人に違いない。もう後は実力行使しかありません。腕をつかんで立たせて降車を促しました。やっと理解してくれたんですが、まだ次があるんです。運賃の支払いです。千円札を運転手に手渡そうとする。運転手さんは「No!No!」って両手を振るばかり。しょうがないから両替機に入れてあげて、
「The fare which you should pay is four hundred seventy yen.」
って性懲りもなく伝わんのないのつい忘れて言ってたら、今度は両替した小銭全部をを掌にのせて運転手さんに突き出していました。そうそう、やるやる。海外行ったら誰でも経験あると思いますよね。「もってけドロボー!」って。見慣れないコインってホントめんどくさいから。(ちなみにオーストラリアの1ドルコインは2ドルコインより大きいのです)
 でも、折角親切に教えてやってるんだから運転手さんじゃなくってこっちに手を出せよって。金に関する限りの信頼性は公共のバス運転手の方が上ってことか…。ま、地面に足を着けると同時に振り向いて見せた眩しい歯の白さに免じて許してあげまるよ。
「It is fine! brother!」

 実は実はその後もあって、今度はヨーロッパ系の夫婦(?)もんです。宮崎駅ってことで多くのお客さんが降りていました。先ほどのBrotherは前から2番目の席だったので真っ先に降りましたが、そのやり取りを後ろの席から窺っていたこの夫婦もん(本当は大会参加者ですから夫婦じゃないと思うんですが…)、私のことを地元に詳しい多少英語も分かる(親切な日本人)と思い込んでるんでしょう。一番最後に来て、私に、
「Is this bus stop Miyazaki City?」「Downtown?」
って聞いてくるんです。まあ、宮崎市には違いないし、下町って言われれば下町もあるだろうし…。待てよ、stationの聞き違いじゃないだろうか。で、
「Yes!That is true.」
「Thank you!」
「You are welcome.」
二人とも手を振って降りていきました。

 私はそこから2つ先のバス停で降りたわけですが、自分なりに例の良い事をした後の清清しさってやつで、ちょっとだけニヤケながら歩いてホテルへ向かいました。信号待ちしてると幾台ものバスが目の前を通り過ぎます。(余談ですが、この街ってやたらとバスが多いです)その1台の行き先掲示板が目に留まりました。
「ガガアアーン!!」
 そこにはなんと『宮交シティー』ってあるじゃないです。そうです。Miyazaki City じゃあなくってMiyakou Cityだったんです。ホテルでフロントに聞いたら歩いていける距離じゃないんですって。「あの夫婦もんどうしてるかなぁ?日本人に騙されたって誤解してないかなぁ?ま、でもBrotherと違って二人だし、お金も持ってそうだったし大丈夫か」って自分なりに納得させて、駅まで引き返すことはしませんでした。
 だって何回も言うように
「わたしも宮崎知りませんから。残念!」

                                                    (文責:杉本副事務局長)
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