♪この悲しみを伝えたい〜沖縄で実感 |
UIゼンセン同盟 永田由美子 今回、平和集会に参加して、私の中にあった沖縄の見方が大きく変わりました。私が、初めて沖縄に行ったのは、8年前。その時は、きれいな海と、空と、南国独特の風景に感動し、ただ、「ああ楽しかった」で帰った旅でした。今回は、そのきれいな海と、空、景色は、沖縄県民の、血と、肉と、骨と、とても大きな苦しみと、深い悲しみで造られたものだと思いました。学校では、日本で唯一「本土決戦」があった場所と教えてもらっただけで「ひめゆり学徒隊という、若い命がたくさん犠牲になった」くらいの知識しかありませんでした。その後は、“それ”について考えてみようともしませんでした。ピースガイドの方に、沖縄戦での犠牲者が、兵士よりも、一般市民の数の方が多かったと聞いてびっくりしたぐらい、無知な自分が恥ずかしかったです。そして、同じ日本人なのに、助けてくれると思っていた兵士から、沖縄の言葉を禁止され、食料と避難場所(ガマ)を奪われ、辛い労働を強制され、死をも強制された日々。 |
うまく伝わったかな? |
JAM 田村 彰朗 ・・・「人が人でなくなるのが戦争です。」と語り部の方は話されました。戦争当時は、たくさん敵兵を殺して御国のために働くのが、敵兵に捕まるぐらいなら自ら死を選ぶのが当然と教育されていました。戦争をなくすために具体的な方法はすぐには思いつきませんが、そのひとつは・・・ 今までは、戦争反対と言うだけなら簡単。それだけじゃ意味がないよ。と思っていました。今回平和行動に参加して、それだけでも十分に意味があるかも知れない、と思うようになりました。戦争反対と声を出さないと平和に向けての行動は始まらないと思いますがどうでしょうか。 |
難しいけど“伝え続ける平和”が大切 |
国公総連(全農林)松本純子 日本では6月6日に有事法制が成立した。私は今回のような平和行動に3日間も参加するというのは初めてで、「自分は何ができるだろう。この今の状況で自分はどう考えるべきだろうか」と全く無知なまま参加したように思う。 参加してまず感じたことは、なぜこれ程の人たちが毎年、広島・長崎・沖縄の平和集会に集まるのだろうかということ。その根本にあるのは平和を願う強い気持ちなのだろうが・・・ 2日目の『ピース・フィールドワーク』では「南部戦跡に学ぶ」ということで、沖縄戦の実相に触れることのできる糸数壕(アブチラガマ)等を訪れた。糸数壕はもともと避難指定壕だったものが、米軍上陸の際には陸軍病院の分室となっていた。懐中電灯を照らしながら実際に中に入っていくと、真っ暗でひんやりしており、かつてこの中で1000人以上の負傷兵で地獄のような有様だったことが信じられなかった。 |
人は教育の仕方でこんなに変わるのか? |
情報労連 菊川泰 飛行機で沖縄が見えた時、数十年前に沖縄戦で、鹿児島(知覧)から飛び立った十代の特攻隊を思いだし、お国のため、親兄弟のためにと散っていった。現代では、想像もつかない教育を受け、ひたすらお国のためと強い意志を持っていたに違いない。 |